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【昭和後期の記憶・桑畑と里芋畑】

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昭和後期(1970年代〜1988年頃)の記憶のなかに残る、懐かしい思い出をつづる。今回は家のすぐ周りにあった「桑畑と里芋畑」についての記憶。

昭和50年代初め頃まで相模原に住んでいて、そこは座間との市境近くだった。市街地の中でもまだまだ畑が結構あって、自然がいっぱいの環境だった。周りの道路は舗装されていなかったりで、砂利道もまだ結構残っていた。

当時は2階建ての鉄筋コンクリートの小さな社宅に住んでいた。その社宅のすぐ前には大きな桑畑が広がっていた。横には大きな里芋畑もあった。桑畑は他にもたくさんあって、通学路の両側にしばらく桑畑が広がる場所もあった。自宅前の桑畑には柵があるわけでもなく、よく立ち入って遊んだものだ。

<参考写真> 葉をつけた桑の木(左)と、枝を剪定した冬の桑の木(右) (写真ACより)

夏前くらいの時期になると桑の実がたくさん実る。実の色は赤や濃い紫色で桑の木をカラフルに彩る。キイチゴみたいに小さい粒粒の集まりの実で、それを摘み取り食べるのが楽しみだった。熟れた濃い紫色の実を食べると舌は紫色に染まる。味はよくは覚えていないが、結構甘かった記憶がある。

<参考写真> 桑の実がついた様子(左)と、桑の実の拡大写真(右) (写真ACより)

そして桑畑にはカミキリムシやカイコの幼虫もいたものだ。よく捕まえたカミキリムシはキボシカミキリで、黒くて黄色い斑点模様があった。それとレアだったがトラフカミキリで、正に黄色と黒の虎柄の縞模様でそれを捕まえると嬉しかったものだ。

そもそも相模原といえば養蚕が盛んだと当時は学校で習ったし、社会科見学では養蚕農家にも行った記憶がある。そして絹の原料の生糸を作る養蚕に欠かせないカイコの餌が桑の葉だと、当時の相模原市民は多分誰もが知っていたのだろう。そのくらい桑畑は身近にたくさん広がっていたのだ。

今でもまだ養蚕は変わらずに行われているのだろうか。もう相模原を離れて久しいから、同じ県内在住でも意外と分からないものだ。

確か梅雨の時期になると、里芋畑は子供の背丈を超えそうなくらいの、背の高い茎の先につけた緑色の葉っぱで、急激に畑一面が覆われていった。その成長した里芋の葉はかなり大きく(子供の傘になりそうなくらい)、1枚の葉が長く太い茎の先に1枚付いていた。

<参考写真> 里芋畑の畝の様子(左)と、生い茂った里芋の葉(右) (写真ACより)

葉の形はハート形の感じで、雨が降ると雨粒は大きな葉の上で、水をはじいて盛り上がる。それが丸いと言うか球形に近い形のしずくを作る。それがくっついて集まると、葉の真ん中のくぼみ(茎の真上)に大きな水たまりを作る。

<参考写真> 雨粒をはじく里芋の葉(左)と、葉のくぼみに集まった雨水(右) (写真ACより)

そんな光景を雨上がりに見つけると、手を伸ばして葉っぱを傾け雨水を手のひらに受けてみたりする。里芋の葉っぱは不思議な光沢があり撥水するから、葉の上の水たまりを見ているだけでも不思議な感じで面白かった。

家のすぐ横にこういう畑が広がっていて、相模原は本当に自然が豊かだった。その後に横浜のそこそこ都会に移り住んだから、もう桑畑や里芋畑を見るとこもなくなってしまった。

当時は時期になるとちょっと桑畑に入り込んで、熟した桑の実を食べるのが楽しみだった。でも当時は桑の実の商用利用はなく、養蚕農家のおやつや加工して自分たちで消費するだけだったようだ。

それが養蚕産業が衰退した現在では、桑畑はカイコの餌となる葉の栽培だけでなく、人の食用として桑の実(マルベリー)の収穫を目的に、桑が栽培されることも増えているようだ。その桑の実はジャム、果実酒、ジュースなどの加工品の原材料にもなる。

桑の葉しか食べないカイコは、数千年という非常に長い歴史の中で、人間が扱いやすいように、絹糸を効率よくたくさん採れるように、品種改良を重ねてきた。その結果として「究極の家畜」となり、人間の手助けなしには1日も生きていくことができない、そんな体に変化した唯一無二の昆虫とのこと。

それは弱点ばかりで翅(はね)があるのに飛べない、脚の力が弱く木から落ちてしまう、餌を求めて移動しないし逃げない、色が白い故に目立ち野生ではすぐに食べられてしまう。つまりカイコは「人間が24時間体制でお世話をすること」を前提に生きている命だそうだ。

先に桑畑にはカイコの幼虫がいたと書いたが、上記の調べではあり得ない事になる。それは家畜化された白いカイコとは同様のものではなく、カイコの祖先である野生の「クワコ」という昆虫だったと知った。見た目はカイコに似てても色が茶色で、桑の木の枝の色に似た保護色になっている。

そういえば白くはなく茶色かった記憶がよみがえる。それは上記でカイコにあげた弱点とは真逆で、野生で生き延びるたくましさがある。クワコもカイコと同様に桑の葉を食べて糸を吐き繭を作る。その大きさはカイコの数分の一で、色は目立たない褐色(茶色)のようで、それを当時見たような記憶はない。

昔ちょうど相模原にいた頃は、桑畑と一体の養蚕農家は激減期で、養蚕産業は衰退の一途だったようだ。ベッドタウンとしての人口急増と引換えに桑畑の宅地化が進み、また養蚕農家の後継者不足など時代の流れが養蚕産業の衰退に繋がっていった。

そして養蚕産業のさらなる衰退とともに、神奈川県では2010年を最後に生業としの養蚕は桑畑とともに姿を消し途絶えたそうだ。その当時は多分ニュースになったのだろうけど、すでに長く横浜に住んでいたからか全然知らなかった。ここに昭和後期の良き思い出の一つが消滅したことを知る。

zuky

ずっと神奈川在住で、長く建築設備の設計に携わる
たまに遊びで弾くギター、コピーバンドの集まりは途切れ
そんな日常生活に疲弊し、日々何かを諦めている
一日26時間あったらなぁ、とたまに思うときがあり
それでも...新たな発見や追憶・美味に出会う幸せもある

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昭和後期の記憶
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